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喜劇映画研究会 1993年

城南スタジオ

マンションのエントランスから見た【城南スタジオ】
 表札には実際の撮影現場で使われていたカチンコ(clapperboard)を流用。
 

 

 

 

 

 

 

ミーティングとフィルム検査が行われていた部屋

約10帖のスペースは映画フィルムの編集や機材整備のために床面積を広くする必要があった。オフィス専用として風呂場を資材置き場に変更。メンバーの仮眠室や小パーティ会場としても利用されていた。室温が低く湿度が少ない(フィルム保管には適している)環境は夏こそ快適ながら、冬は極寒!台所のシンクに氷が張るなんて事件も!

試写、弁士や演奏のリハーサルが行われた部屋

約8帖のスペースで、壁には歴代活動のポスターが飾られ、1995年からは緞帳にヒントを得て特注された完全遮光カーテンが窓に採用された。1999年からビデオ機材も増えて、2000年よりサラウンド音響システム(5.1チャンネル)も設置、2003年からは海外方式のテレビ信号(PALやSECAM)のビデオやDVDの再生、ハイビジョンも視聴できる環境となった。
これらの維持と保守管理は'映像文化の伝承'としてメンバーの規律に重くのしかかる!?

資料室

かつて「サイレント・コメディ全史」が作られた東京は目黒区八雲の1DK賃貸マンション(旧・本部)を模して移設!? 実は偶然にも2003年に城南スタジオ上階6帖の部屋が空いた事から同じ敷地に転居して会の活動を集約。
城南スタジオが入るマンションは道路沿いの立地でデザイン上は各部屋が隣接しない構造、しかも城南スタジオをはさむ両側の入居者は音楽スタジオ(完全防音)のために、上階が当会の資料室となった瞬間から大音量で映画鑑賞も可能!なんて夢のような環境が実現した!
しかし、これが災いして非常識なメンバーの溜り場となってしまったのだ…。

城南スタジオとは1993年7月3日に開設した当会専用の作業施設。
当時メンバーだった食品パッケージのフリー・デザイナー大澤万佐夫と共同で借り受けた1LDKマンションで、1室を大澤のデザイン工房、もう片側の部屋を当会のフィルム・機材保管庫&ミーティング室として使用していた。この頃の当会はビデオ等のメディアに関心を示さずフィルム中心に研究を行っていたため、4階建てマンションの1階部屋(構造上は半地下に位置)で'夏でも室温が低い''駅から近い''機材等の搬出入が容易'という環境からこの物件が選ばれた。
専用作業場の開設目的は【研究の根幹となるフィルムの保存】【常に閲覧できる環境の確立】【研究会メンバーとして誇れる活動拠点の構築】であった。そのために徹底した整理整頓とオタク色の排除を信条とした(但し、当会の資産が集約されている事から所在地は非公開)。
当初は大澤が責任者(城南スタジオ所長)、家賃は大澤個人と会(活動収入から)の折半として、光熱費のうち電気代は会が負担(フィルム保管の業務用空調設備が電気代の7割以上を占める)にてスタート、1994年春より二代目所長をイラストレーター奈和浩子が務めた。1995年より全スペースを会が使用するに至り、家賃は会の代表が負担、光熱費は所属メンバーを会費制とする事で充当(メンバーの増減によって毎年1月に新年度会費を協議)のルールが制定された。これよりメンバーは当番制で保守管理となるが、メンバー数の増加から風紀が乱れ始め、活動拠点としての本来の機能や文化財保護の目的が薄れ【安い家賃で居座れる娯楽施設】と曲解した者の宿泊所となってしまった!この事から大澤が急遽呼び戻され所長に復帰、2001年より石野たき子が三代目所長となって設立当初の信条厳守と設備拡充が図られた。
2006年に喜劇映画研究会設立30周年を迎えた時、防犯上の見地と家賃負担の効率化から会の運営を見直し、2007年4月30日に【城南スタジオ】は閉鎖となった。

尚、これら全ての設備が現在の拠点【狼の砦】に移管されている。