Main Menu

 

 

トップページ > 活動史(20世紀) > 喜劇映画研究会 1999年 夢の森にて '99
喜劇映画研究会 1999年

夢の森にて '99
~生演奏&パフォーマンス付上映会~



【日 時】1999年1月16日(土) 17:30~
【場 所】アテネ・フランセ4階ホール
【主 催】アテネ・フランセ文化センター、
     喜劇映画研究会

 通算7回目、7年目を迎えた人気イベントは、今回より主催と会場が従来のアートファニチャーギャラリーからアテネ・フランセに変更になり、イベント名も改められた。

 過去6回の超満員のギャラリーに溢れていたエネルギーとアットホームな雰囲気を残しつつ、大ホールの観客へ如何にして挑むかが「夢の森にて'99」のテーマとなった。

 本番当日、アテネ・フランセ4階ホールは当会と音響班の連合軍による重武装(いや重いのなんの)の穿貫的突入で静寂を破られ、ついで来襲したした谷川軍団のリハーサルによって完全に居酒屋もとい戦場の様相を呈し、階下の教室で授業中だった講師の方から厳重な抗議を頂戴する始末。(ご存じの通りアテネ・フランセは本来外国語学校なので。その節はご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。)

 予約なし・当日入場券販売のみだったため事前に観客層の予想が立たなかった今回のイベントは、蓋を開けてみれば来場された方のほとんどが「夢森」初体験者というまっさら状態。定刻通りの開演でアーティストたちが演奏しつつ、(さながら鳥山石燕描く百鬼夜行図のごとく)客席を抜けてステージに向かう入場シーンに始まって、谷川・MINA・新野共作の珍妙な詞によるド演歌入りミュージカル活弁劇(一部関西風)に圧倒された聴衆は、エンディング(チャップリン映画の名曲「スマイル」を演奏しながらの退場)に至って一様にうっとりとしていた(希望的観測)。ただしオーディエンスと一体化する狂乱ファイトを得意技とする演奏家にとって、クラシック・コンサートに聴き入るような観客の反応はかなり戸惑いを覚えるものであったとは、演奏後の控え室での談話。

 企画・運営サイドとしては「プラスもマイナスも多く、精神的に糧多きイベントとして充分すぎる経験」を積めたといえる。尚、最後に一つだけ付け加えさせていただけるのならば、当会としては入院生活後わずか3週間で本番に臨めるだけのコンディションを作り上げてきてくれたMINA嬢の予想を遙かに越えた大活躍に対して最大級の賛辞を呈したい。

ending
出演

谷川賢作とSonorizzano

tanikawa  ota
  谷川賢作(ピアノ)   太田惠資(ヴァイオリン)
miki  yoshimi
 三木黄太(チェロ)     吉見征樹(タブラ)
mina             
MINA(弁士/アコーディオン?)           
音響
  • 岡部潔
  • 甲田義彦 
上映作品

 

会場移動の経緯

 過去6回の会場となったアートファニチャーギャラリーは本来木工のアトリエであり、その中の工作室を映写/音響機材の設置場所とし、ショールームを客席/舞台として使用してきた。このためフィルムや機材を木屑や埃から保護しなければならず、機材の搬入前にかなりの時間と人数を確保して工作室の掃除を(ギャラリー側の営業を本番前日から中断して)行う必要があった。また、ギャラリーの商品である椅子を流用しても(まともな)客席は最大40席までしか設けられない環境で、120~250%の入場率を迎えてのパフォーマンス(スクリーンから演奏者までの距離は1m以内!)は観客と演奏者に多くの制約を強いるものであった。

 こうした問題は『夢の森にてV』終了時から差し迫った懸案事項として検討が繰り返されてきたが、そもそもこの企画自体がギャラリーを主宰するチェロ奏者・三木氏の好意で、パーティ付きイベントとして企画されたという経緯もあって、議論が長期にわたる結果となった。

 結局、会場面積による表現の制約、入場客への配慮、そして当会のマンパワー不足からくる会場設置/パーティを含めた運営の困難さを解決するには抜本的な解決策が必要であるとの判断から、会場の変更が決定された。

 1998年3月、アテネ・フランセ文化センターの安井豊氏に対して共同企画/会場移転の打診を行ったところ快く引き受けていただけたので、この時点でイベントの移転は既定事項となった。(このイベントが始まった時以来のパートナー/企画者の一人であり、年末のかきいれ時に快く会場を提供し、料理の腕を振るい、そしてなによりステージではいつも卓越した腕を披露してくれたチェロリスト、アートファニチャーギャラリー代表の三木黄太氏の長年のご厚意に改めて感謝!)