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喜劇辞典 あ行

【アニメーション】(animation:英語)

今日的にはポピュラーな、漫画が動く、人形が動くという手法。
語源は animatism(地上の事物には生命がある、という原始宗教の観念)と motionpicture(映画:米語)を合わせた造語。喜劇への応用は、映画が発明されて間もない頃から、フランスの作家エミール・コール、ジョルジュ・メリエス、フェルディナン・ゼッカらによって、線画や小道具を動かす、あるいは1コマずつ直接フィルムへ書き込む(カリグラフ)などの特殊効果が確認されている。1920年代には漫画と実写の合成もアメリカ喜劇では多用され、既に『ロジャー・ラビット』『トイストーリー』の原点みたいな映画も作られていた。人形アニメでは、ヤン・シュヴァンクマイエル、イジー・バルタなど東欧系作家の喜劇は有名。生身の役者が演じられないギャグを表現する場合の最善策。(A)

【アクロバット】(acrobat:英語)

サーカスの曲芸みたいな体技の総称。
喜劇におけるアクロバットは、演技者が観客に痛みや同情を感じさせないアクションでなければギャグとしては成立しない。つまりコミカルな転倒、スーパーヒーロー的な超絶体技などで笑わせる場合を「アクロバット」と呼び、流血や怪我から痛みを想起させる、憐憫の情を抱かせる等の演出をともなう場合は「アクション・コメディ」という別ジャンルに区別されなければならない。その意味からもアクロバットはスラップスティック・コメディの構成要素のひとつ。アクロバットの名手として最も有名な役者はバスター・キートン、近年の主流となっているアクション・コメディの中ではジャッキー・チェンが「アクロバット」に近い演技「アクロバティック」のスターである。(A)

【アチャラカ】

狂言、落語、俄(仁輪加)などのお笑い伝統芸能に、明治の文明開化以降に西洋風アレンジを加えた喜劇を「アチラ化した(アチラの国=西洋風の味付けになったの意)」と呼んでいた事が語源らしい、特定の作風、作品、または固有の演技を示す。ドタバタ喜劇の一形態。
アチャラカ研究家・原健太郎氏の説明を拝借すると「演技術の一手法、または、ある種の精神志向<ナンセンス、反権威>をともなった喜劇、及びその演技」であって、現代の新作では「アチャラカ」を特定するのは難しいとの事。昭和初期にレビュー式喜劇(歌や踊りを取り入れたコメディ演劇)を引っさげて登場した榎本健一(エノケン)を筆頭に、清水金一(シミキン)、森繁久彌、三木のり平、由利徹、フランキー堺らのコミカルな演技、または彼らの出演した映画や舞台作品を「アチャラカ」「アチャラカ喜劇」と呼ぶ場合が多い。彼ら共通の特徴は、体技と、緻密な計算による「間」の演技である。アメリカ製品が庶民の憧れだった時代、1ドル360円のレート換算だった時代に、舶来ドタバタ喜劇から派生した和洋折衷コメディと考えるものであろう。代表例は『エノケンの近藤勇』『エノケンのどんぐり頓兵衛』『鴛鴦歌合戦』『牛乳屋フランキー』、TV黎明期の『てなもんや三度笠』。尚、近年、いとうせいこう、井上ひさし、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、筒井康隆、別役実の五氏が『空飛ぶ雲の上団五郎一座』を結成して『アチャラカ再誕生』のサブタイトルにて往時の再興を呼びかけている。蛇足ながら、1947年発行『演劇手帳』という三宅周太郎氏のエッセイで、古川ロッパの喜劇を観た感想に「江戸っ子でいて喜劇をやるのが新しい。日本の通俗喜劇は大阪弁でないと成立たぬと大正期に坪内逍遥氏は論じ、当時としてはそれは学問的にも立派な説だったが、その合理的なドラマ・トルギーを破って東京弁の喜劇が新しいと思った。(注:旧仮名遣いと漢字を改めた以外は原文のまま)」とある。この言葉からすると、東京こそアチャラカの発祥地なのであろう。
また、関西圏では調子イイ奴、図々しくもマヌケな人物を主役とした場合は「スチャラカ」と呼んだらしい!? 語源は不明。単語のリズム感で「アチャラカ」を関西弁に意訳したイメージと筆者は考えた。TV黎明期に香川登志緒脚本の『スチャラカ社員』が、この造語を全国区に知らしめたものである。近年人気のラップ・グループ『スチャダラパー』の名は、この「スチャラカ」にクレージーキャッツのヒット・ソング『スーダラ節』(作詞は青島幸男)と「ラッパー」という単語を合わせたものとされる。(A)

【アヴァン・ギャルド】(avant garde:仏語)

直訳で「前衛」と呼ばれる芸術運動のひとつ。1910年代の「ダダ」、1920年代の「シュール・レアリスム」など、美術、音楽、演劇、舞踏、詩作と共に写真や映画をも巻き込んだ一大潮流。映画史では「実験映画」「絶対映画」「純粋映画」「アンデパンダン(インディペンデンス)」というジャンルでの紹介もある。包括的に「前衛」と呼ばれる創作がヨーロッパを中心に行われていた時代は、サイレント期のアメリカ製喜劇映画が世界的な流行となって量産されていた頃と重なっている。ただし、同時期の喜劇映画作家やコメディアンは、この芸術的アドヴァンデージとは無関係にあった。しかし、前衛運動の推進力となる<超現実><道徳観の破壊><悪夢>は、当時の喜劇演出では常套手段とされていた事から、ガルシア・ロルカ、アンドレ・ブルトン、サルヴァドール・ダリ、マルセル・デュシャン、フランシス・ピカビア、マン=レイといった急先鋒の芸術家たちはマック・セネット、バスター・キートンなど喜劇人の創作力に憧憬の念を寄せていた。参考までに今日再見可能な前衛芸術家たちのオススメ喜劇を紹介すると、バスター・キートン『文化生活一週間』『探偵学入門』、マルクス兄弟『ご冗談でショ』など。喜劇のオマージュ的要素が多いアヴァン・ギャルド作品といえば、ルネ・クレール、エリック・サティ、ピカビア、デュシャンらの合同作『幕間』、ルイス・ブニュエルとダリの共作『アンダルシアの犬』『黄金時代』がある。
「前衛」の語源は、その概念をバロック~印象派に到る対象への写実的表現や信仰を「後衛」と前衛運動の扇動家たちが批判した事からで、それまでの、既存の表現にはない創作を示した。それゆえに過去を完全否定する革新派の一群では、自分たちだけが「前衛」と名乗るべき存在、と考えているケースもあった。まぁ、昨今の「何でもあり」的活況のゲージツ界では「前衛」というニュアンス自体が形骸化しているかもしれない。
尚、蛇足ながら、ダリは初渡米の目的を尋ねられた際に「マルクス兄弟を主演にして梅毒の映画を作るため」と答えたとされる!? また、1920年代に活躍した前衛芸術家たちは、映画創世期の作家ジョルジュ・メリエス(代表作は『月世界旅行』)もアヴァン・ギャルドのファウンダーとして認めていた。(A)

【アフォリズム】(aphorism:英語)

警句。箴言(しんげん)。格言。凝縮し省略した短い文章で人生や社会の真実を鋭く表現した辛口の見解。エスプリの缶詰。いわゆる格式の高いキャッチ・フレーズみたいなもの。
アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』によれば「前もって消化しやすいように調理してある人生の英知」。その起源は古代ギリシャのヒポクラテスが医学上の処方を記した「アフォリスモイ」まで遡るといわれ、「人生は短く、学問は永遠」と古代ギリシャで綴られた一言も各国語で2500年近く語り継がれている。ブレーズ・パスカル、ラ・ロシュフーコー、フリードリッヒ・ニーチェ、芥川龍之介など、洋の東西を問わずアフォリズムの達人は多い。なぜ彼らは鋭い言語感覚で、世界の真実を短く表現しようとしたのだろうか。答えはカンタンだ。どんなに鋭い指摘でも、100ページにもわたる長編はアフォリズムと呼べないからである。
映画史上の至言はチャールズ・チャップリン監督・主演の『殺人狂時代』で、殺人犯ベルドゥー(チャップリン)の法廷での陳述。「一人を殺せば殺人者だが、百万人だと英雄だ。数が殺人を神聖にする」とは、当に戦争を風刺した強烈なアフォリズムである。ただし、冷戦下のアメリカでは、このチャップリンのセリフが危険思想の持ち主と受け取られ、チャップリンは国外追放となってしまった。
セリフとしてのアフォリズムとは別に、バスター・キートン監督・主演『探偵学入門』では「二兎追う者は一兎も得ず」とタイトル後に示して、<清貧の青年がシャーロック・ホームズのような探偵になる夢>と<片想いのカノジョのハートを得ようと努力する>といった作品コンセプトを冒頭で表現している。アフォリズム使用の発想を転換した好例であろう。
因みに格式高いキャッチ・フレーズではないが・・・1992年に拙著『サイレント・コメディ全史』を刊行した際の公式発表文は「『ギャグ』に歴史あり、『笑い』に理屈なし」であった・・・(A/F)

【アフレコ/アテレコ】

アフレコ(アフターレコーディング:和製英語)は同録(同時録音)に対する語で、俳優やアニメーションの映像に後からセリフや音を録音すること。
アテレコは、声を「アテ」てレコーディングするという意味で、要するに「外国映画のセリフ吹き替え」のこと。当会代表の新野が映画評論家の児玉数夫氏から聞いた話によると、国産第一号のアテレコはハロルド・ロイド『足が第一』を活弁士の徳川夢声が吹き替えたものだそうである。TV番組では1955年の海外映画『スーパーマン』。
ついでに言えば「てれこ」(=交互にする)は歌舞伎用語からきているという。(F/A)

【慇懃無礼(いんぎんぶれい)】

主に話芸で笑いを誘う場合が多い丁寧語や尊敬語の場違いな使用、見当違いな相手への使用法。参考例ではトニー谷(またはその嫡流=漫画『おそ松くん』のイヤミ)の喋り方「ミーは●●ザンす」「お下劣!」「おベサメムーチョ」、相手が女性だろうが幼児だろうが返答には「Yes,Sir!」というものなど。身分格差や不相応な応対が大きい程、ギャグとしての効果が現われる。『チャップリンの番頭』に見られるヴァイオリンをバケツで水洗いする等、パントマイム風の視覚的表現では発想の転換でも笑いを誘うが、このような使用法は高度な演技力と卓抜したアイデアを要する。(A)

【ウィット】(wit:英語)

機知、機転、とんち。その場に応じてとっさに働く気の利いた鋭い知恵のこと。それが場の空気をほぐしたり、相手の攻撃的な態度をやんわりかわしたりする。ユーモアと似ているが、ユーモアが右脳的(=直感的)だとすればウイットは左脳的(=理屈っぽい)ともいえよう。
「私がせめて、きみのように達者に喋れたら……」チャールズ・チャップリンが囁いた。「巨万の富を得て、まだ欲張るのかね?」グルーチョ・マルクスは答えた。ウィットの達人である。(F)

【エクストラヴァガンザ】(extravaganza:伊語/英語)

狂想劇。音楽を主体としたドタバタ喜劇。
本来はイタリア・オペラ、またはオペレッタのジャンルのひとつであったが、衒学的な映画解説では喜劇に対して頻繁に用いられるようになった。サイレント映画では主として画にリズム感をともなう喜劇を示すもので、その代表作とするならばバスター・キートン『セブン・チャンス』、チャーリー・チャップリンの『黄金狂時代』『モダン・タイムス』。トーキー作品ではオペレッタそのものズバリのマルクス兄弟『我輩はカモである』、ドヤドヤ感ではスタンリー・クレーマー監督の『おかしなおかしなおかしな世界』、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』、ジョン・ベルーシ&ダン・エイクロイド主演の『ブルース・ブラザース』であろう。(A)

【エピゴーネン】(Epigonen:独語)

一流の作家・芸術家・思想家などの追随者・模倣者のこと。本項では亜流、または二流、二番煎じの作品や役者を示す。語源的には古代ギリシャ語「後から生まれた」の意。流行語で説明すれば「パチモン」「パクリ」「まがいモノ」である。
ジョナサン・スウィフトは『ガリヴァー旅行記』の中で、ホメロスやアリストテレスと一緒に何百人もの註釈者の亡霊を登場させた。彼らは御本尊の真意を言語道断なほど後世に誤り伝えたという自責の念にかられ、冥界でも御本尊からは遠く離れてひっそりとたむろしているのだという。
有名人の仕草や口調を芸として確信的に再現して楽しませるのが「モノマネ」だとしたら、あたかも本物であるかのように振る舞い、騙るのが「フェイク」であり「エピゴーネン」であるともいえよう。
喜劇王チャールズ・チャップリンの全盛期には数多の偽チャップリンが存在した。チャップリンが新作を発表するたびにギャグやプロットを真似て稼ぎまくり、ローカルマーケットでは本家チャップリンと同一人物にさえ思われていた俳優もいる。悪辣なエピゴーネンの場合、自分の気に入った映画のところどころを継ぎはぎ、ストーリーの統一感を完全に失った「ジャンク・ムービー」も多かった。この偽チャップリンについて興味津々の方は当会刊行『サイレント・コメディ全史』をご参照あれ。
近年のエピゴーネン映画の代表例(つまりワーストワン!)は、オーストラリア映画『マッドマックス2』のヒットに肖った二番煎じ、ニュージーランド謹製パチモン『バトルトラック』が挙げられる。因みに『バトルトラック』は本邦初上陸のニュージーランド・シネマだとか・・・
また、エピゴーネン自体をギャグとして使用する場合、『座頭市逆手斬り』はその定石的プロットでの好例。盲目ながら居合いの達人で用心棒を生業とする座頭市(勝新太郎)の名を騙り、宿場町で毎晩豪遊のチンピラ(藤山寛美)は、ドンチャン騒ぎの後に按摩を呼んで数々の修羅場を自慢する。ところがハイハイと聞き上手の按摩こそ、ホンモノの座頭市であった!
エピゴーネンという概念をパロディに利用しての傑作では、スティーブ・マーティンの『四つ数えろ』が挙げられる。ハンフリ-・ボガード主演の傑作『三つ数えろ』のコメディ版として、ボガード扮する探偵フィリップ・マーロウの同業にして親友という設定で話は始まる。この映画は『三つ数えろ』から37年後に作られたのだが、編集の妙技でボガードやジェイムズ・キャグニー、バート・ランカスター、アラン・ラッドなどの往年のヒット作からセリフごとカットやシーンを借用、マーティンの演技部分と再構成のうえ、新たなストーリーとして'ニセ古典映画'に仕上げている。
蛇足ながら、『ルパン三世』の声優・山田康雄亡き後のルパン役・栗田貫一は、モノマネからホンモノに転じた特例である。(A)

【追っかけ】

喜劇では定石的な演出法。大抵は追跡者がマヌケ、逃亡者が利口で捕まらないという設定でギャグが成立する。逃亡者が人間、追跡者が犬などの場合はシチュエーションが逆転する事もある。古典ではバスター・キートンの『強盗騒動』『案山子』はその典型。
ヨーロッパの大道芸・人形劇、あるいは日本の狂言では太郎冠者と大名・山伏との「やぁやぁ、いかな、いかな」という展開にも原型が見られる。現代では『ルパン三世』のルパン一味と銭形のトッツァン率いるニッポン警察の闘いが代表例。「人間が走る」行為を1910年代に映画界の寵児マック・セネットが誇張した表現として「カー・アクション」を創出した。逃亡者が少数、追跡者が多数という図式が一般的で、逃亡者が正体不明という演出では、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』がノリノリに喜劇的要素を盛り込んでいる。(A)

【オックスブリッジ派】

オックスフォード大学とケンブリッジ大学というイギリスの超名門を合わせて「オックスブリッジ」と呼ぶ。
そのムーブメントは、1950年代後半のケンブリッジから始まった。スエズ動乱などに端を発する古い価値観への不信の高まり、戯曲『怒りを込めて振り返れ』のジョン・オズボーンや小説『長距離走者の孤独』のアラン・シリトーら怒れる若者世代の台頭、より政治的になる時代の流れに同調して、学問の都ケンブリッジにある名門コメディ・サークル「ケンブリッジ・フットライツ」は、風刺コメディを武器に学外での活動を積極的に打ち出すようになった。1960年代に入りフットライツ出身のピーター・クックが、ケンブリッジ・オックスフォードの両大学から人材を集めて結成した4人組「ビヨンド・ザ・フリンジ」は現役首相をモノマネでバカにしまくるなど当時のタブーを破る過激なパフォーマンスを繰り広げ、風刺コメディーを一大ムーブメントにまで高めた。彼らの出現以降、イギリスの国営放送BBCなどのTVのコメディ番組を両大学出身者が牽引し、現在までいたっている。かのモンティ・パイソンのメンバー(アメリカ出身のテリー・ギリアムをのぞく)や「ミスター・ビーン」で有名なローワン・アトキンソンもこの2大学の卒業生である。(F)

【お笑い/お笑い芸人】

落語、漫才や喜劇を「お笑い」、その演技者を「お笑い芸人」と呼び、「コメディ/コメディアン(コメディエンヌ)」とはほぼ同じ意味。1960年代初頭におこった「寄席・演芸ブーム」(林家三平、立川談志、古今亭志ん朝、月の家円鏡=のち橘家圓蔵、三遊亭歌奴=のち圓歌、春風亭柳朝、桂米丸らの落語家、獅子てんや・瀬戸わんや、Wけんじらの漫才、牧伸二、東京ぼん太らの漫談、てんぷくトリオ、トリオ・ザ・パンチらのトリオ・コントをへて、コント55号らが人気を集めた)の際、すでに「お笑いタレント」という言葉は生まれており、上記の諸種芸能やその演者を示す言葉として、「お笑い」は一般的な言葉になったようだ。この時期を境に、「お笑い芸人」と同義語の旧来名称「喜劇人」は組織名を除いて死語となりつつある。蛇足ながら、「悲劇人」という専任役者はもともと存在しないが、悲劇自体は「お涙ちょうだい」と呼ばれる場合がある。「えー、お笑いを一席……」などと語り出しで言うことがある落語は、自らの芸能を早くから「お笑い」と名乗っていたといえる。1990年代に吉本興業を核とする「お笑い」が東京支社より(主にテレビを主戦場として)見事な全国展開を果たした事から、テーマや演技者、脚本家、演出家など、作品に関わるすべてのモノを「お笑い系」と呼ぶ新語も20世紀末に生まれた。しかし、浅草の喜劇や演芸の伝統を継ぐ伊東四朗、ビートたけし、東京のテレビ先住者・タモリや江戸落語の噺家は自らを「お笑い」とは名乗らない事から、今日、演者としての「お笑い」は、主に笑福亭鶴瓶らの上方落語や関西出身の漫才師、喜劇俳優などを示すといってよい。尚、「お笑い芸人」からは「ピン芸人」「リアクション芸人」という亜種も派生した。(A)